ダンスホール・レゲエ史における偉大なアーティストWayne Smuth(ウェイン・スミス)の訃報を、今朝ベッドの中でTwitterをみて知りました。
ニュースとしてはまだ報じられておらず、詳しい死因などは今のところまで見つかりません。Twitterをさかのぼったところ、今朝、日本時間で2月18日午前6時18分、ジャマイカの音楽配信会社21st Hapilos代表のJohnny Wonder(ジョニーワンダー)氏が最初のツイートを行っています。その後、ジャマイカのラジオ局Irie FMなども同様のツイートをおこなっていました。
#RIP TO MR SLENG TENG WAYNE SMITH #LEGENDARY. YOU WERE A INSPIRATION TO US ALL. REST IN PEACE
— Johnny Wonder (@JWONDER21) 2014, 2月 17
Wayne Smuthは1965年12月5日生まれ、現在48歳という若さ。3月1日には、フランスで行われるレゲエフェスにも出演予定となっており、突然の死だったようです。偉大なるレゲエアーティストとの別れとなりました。
画像参照:Spring Reggae Fest 8 avec Wayne Smith : Reggaefrance.com
オモチャみたいなキーボード「カシオトーン」が届いたんだ。触ったら面白くてね、2人で色々試したよ。(中略)
そいつをレコーディングして、Jammysがクラップを入れてリディムが出来上がったんだ。それから声も入れたんだよ、「♪アンダ・ミ・スレンテ〜ン」。みんな言ったよ、「お〜!ヤバいね!」ってね。Jammysは他の……そう、もうその時に、既に有名だったアーティスト達にもこの曲を聞かせたんだ。でも、何人かは「う〜ん、普通かな。このトラックでは録らないかな〜」って言っててね、俺は言ったね、「なんだよ。この良さが分かってないね。これは新しいんだよ! 新しい事にはトライするべきなんだ!」ってね。
Wayne Smith インタビュー(インタビュアー Shizuo Ishii / Riddimより引用)
OVERHEAT石井さんによるインタビュー。ダンスホールレゲエ誕生の瞬間が知れるすごく面白い記事ですので、ぜひ読んでみてください。
ダンルホール・レゲエの幕開けとなった、モンスターヒットデジタルリズム “Sleng Teng”。1985年、Wayne Smith「Under Mi Sleng Teng」が生まれました。当時、19歳か20歳だった男の挑戦が世の中を変えたのです。
築港で聞いたスレンテンが、僕の一番の思い出
個人的に “Sleng Teng” Riddimを知ったのは、1989年、15歳の頃でした。
当時の僕は、あらゆる洋楽を貪るように聴いていて、家にはFMラジオを録音した大量のカセットテープが積み重なっていました。特にダンスミュージックに惹かれ、ハウス、テクノ、ユーロビート、ラップ、ソウルなどを聴き、そんな中、突然出会ったのがダンスホールレゲエでした。それまで聴いて来たダンスミュージックとは異質の中毒感。なんだこれは……と、すっかり虜になったのです。
当時、Bob Marleyからレゲエを聞き出す人が多かったのですが、僕の場合はダンスホールからです。RANKIN TAXIさんのラジオ番組FM802「NATTY JAMAICA」で、さらにレゲエに陶酔しました。
そして、初めてスレンテンをサウンドシステムの爆音で聴いたのは1993〜94年頃。大阪・堺で行われていたTerminatorによる野外ダンス通称「築港」でした。ディディディディ、ディディディディ、ディディディディ、ディンディン。あの身体がビリビリ震えるウネリは今でも忘れられません。
Wayne Smuthの死去は非常に寂しいです。心よりご冥福お祈り申し上げます。