名曲! 日本人初レゲエサンスプラッシュ出演アーティスト、James Bong a.k.a. 若井ぼんが79歳で新曲リリース

元漫才師で現在は司会や漫談などを行う若井ぼんさん(79歳)が、2023年12月12日、レゲエの新曲「Wonderful Life」をリリースしました。

若井ぼんさんは、およそ40年前の1984年頃よりJames Bong(ジェームス・ボン)として活動しているレゲエアーティストでもあります。そんなJames Bongこと若井ぼんさんの新曲「Wonderful Life」が、とても心に沁みるいい曲だったのでご紹介します。

驚く男性
えっ、若井ぼんさん… なんでレゲエ? ジェームス・ボンって何!?

 

そう、戸惑う方もいらっしゃるでしょう。
曲のご紹介の前に、まずはレゲエアーティストとして活躍する若井ぼんさんのご経歴を解説します。

1984年 日本人初「レゲエサンスプラッシュ」に出演

若井ぼんさんは、1984年(昭和59年)にジャマイカで毎年開催されているフェス「レゲエサンスプラッシュ」に、日本人として初めて出演した方です。

アーティスト名は、James Bong(ジェームス・ボン)。さすが芸人さん、洒落が効いていますね! まずは、当時の映像をご覧ください。

盆踊りの「河内音頭」をレゲエと融合させ、流暢に歌い上げています。しかも現地のジャマイカ人が大盛り上がり! 身体を揺らしてダンスをしながら、歓声が上がりまくっています。

1980年代半ばのジャマイカ人からすれば、「日本という国は車や家電で知っているけど、日本人は初めて見た」「なんだこの曲は、日本にもレゲエがあるのか!?」と驚いたことでしょう。地球の裏側・ジャパンからやってきた、聞いたこともない言葉で歌うアーティストですからね。

当時、日本の新聞や雑誌などのメディアは、そんな若井ぼんさんの勇士を讃えました。以下、一部引用します。

 

若井ぼん、日本人初「レゲエサンスプラッシュ」出演を報じたメディア

河内音頭に黒人大のり ジャマイカのレゲエ祭

なかでも、曲目の最後に演じられた河内音頭への観客の反応は大変なものだった。うたい踊った当の本人、若井ぼんの言葉でいえば「客席で眠っていた何千もの黒人がムクムクと起き立ってきたので、はじめはオソロシカッタ。いかにも場違いな自分を追い出そうとしているのではないかと持ったから。ところがそれらが喜んで、手をたたき、体を動かして踊ってくれた。もう夢中でうとうた」ということだ。

客席で見ていても、その通りで、物珍しい東洋の音楽へのそれではなく、自分たちにも共感できるものとしてそれだったといえる。

レゲエと河内音頭と、文字だけみれば全く水と油にも思われるふたつの音楽だが、意外にもリズムの面で共通しているようだ。レゲエのある種のもったりした、ゆっくりのリズムが、音頭に共通するのだろうか。(鉄)

 

河内音頭レゲエに驚きの喝采

日本から初めて参加した関西出身のコメディアンでボーカリストの若井ぼんさんが派手な原色の着物に日の丸のはち巻をして「河内音頭レゲエ」を歌い踊りまくった。語り風な四ビートの音頭がブリティッシュ・ロックが入ったレゲエのリズムと息が合い、ジャパニーズ・フォークソングに群衆が総立ちになり、気がふれたように体を動かして踊り出したりで、暴動が起きるのではないかと思うほどやんやの大騒ぎの喝采を受けた。(阿部郁子)

 

ジャマイカと日本を行ったり来たり

琵琶湖で開催された「レゲエサンスプラッシュ」に出演した若井ぼんを報じた新聞

若井ぼんさんは、レゲエアーティストとしての活動をさらに広げていきます。

1984年の「レゲエサンスプラッシュ」からの帰国後、日本コロンビアよりレゲエ河内音頭「商売繁盛じゃ笹持ってレゲエ」を発売。

翌年1985年には、ユニセフ国際青年にジャマイカ政府より招待され、ジャマイカで開催された音楽フェス「ジャムフェスト85’」に出演。さらに、日本でも「レゲエサンスプラッシュジャパンツアー」が開催されるようになり、琵琶湖畔でのステージにフレディー・マクレガーやジュディ・モアットといったジャマイカのトップアーティストらと共に出演しました。

そして1986年、再びジャマイカの「レゲエサンスプラッシュ」に出演。

……といった具合に、ジャマイカと日本を行ったり来たりしながら、音楽活動をおこなったのです。

北野啓太郎
とにかく、日本ではレゲエがまだニッチだった時代において、渡ジャマし現地でレゲエを歌い、日本とジャマイカを音楽でつないだ凄い方なのです!

このあたりの出来事

  • 1978年 ジャマイカで「One Love Peace Concert」開催
  • 1981年 ボブ・マーリー死去
  • 1983年 フリーペーパー「Riddim」創刊
  • 1984年 若井ぼん、日本人初「Reggae Sunsplash」出演
  • 1985年 Sleng Teng(スレンテン)riddimが誕生
  • 1988年 大阪・アメリカ村にクラブ「St.Ann’s」がオープン
  • 1989年 RANKIN TAXI ファーストアルバム「家事だぁ」リリース

「Wonderfull life」James Bong a.k.a 若井ぼん

さて、前置きが長くなってしまいましたが、こちらがJames Bong a.k.a 若井ぼん「Wonderfull Life」です。

僕はもう、心が震えましたよ!

日本においてレゲエは、若者向けの音楽と思われていますよね。10代だったり、クラブ遊びを始める20代だったり。ただ、レゲエが日本に根付いて年月が経ち、レゲエファンが大人になる中で、家族や子育てをテーマにした曲もちらほら出てきています。

でもね、さすがに高齢者向けのレゲエは無かった。全世代に向けた曲はありますが、高齢者に向けて歌うレゲエは無かったです。

そう、この「Wonderfull Life」は、高齢者に向けたポジティブチューンなのです。笑いもありつつ、心に刺さるメッセージ。ご高齢者は思わずニッコリ、元気の源になる曲ではないでしょうか。

新たな層へチャレンジしていく姿勢もかっこいい!

僕はこの曲を聴きながら「高齢者になるもの悪くなさそうだな」と思いましたよ。

 

リリック(歌詞)一部紹介体の調子はどうでっか?
瞬く間になるで高齢者
内科、外科、耳鼻科に脳外科
本日 四度目の尿検査
酒好き負けずに正念場
まだまだサラサラ脳血管
医者とも大いに大喧嘩
100まで生き抜く挑戦者

 

曲の終盤で「今まさに雨天決行」というフレーズがあるのですが、僕は特にここが刺さりました。高齢者になると身体が衰え、心身ともに絶好調!という日々はだんだん少なくなってくるでしょう。

「調子が悪くても、一歩踏み出して頑張ってみようよ」

今まさに雨天決行という言葉から、そんな想いを感じました。ワンダフル・ライフには、優しくて勇気あふれるメッセージと、若井ぼんさんのバイブスが詰まっています。長く聞き継がれるであろう名曲、最高です!

  • Lyrics : YOSHI (餓鬼レンジャー / ULTRA NANIWATIC MC‘S)
  • Music : DJ FUKU (ULTRA NANIWATIC MC’S / 420family)
  • Recorded : ZURA (ARUZ STUDIO)
  • Mixed : Ryosuke Maekawa (serow lab.)
  • MV Director : Johnny (BANANA FILM)
  • 振付 : 森川 七月
  • DANCE : 永田カツコとゆかいなババァたち

James Bong a.k.a 若井ぼん プロフィール

James Bong Artist shot

「しっつれいしました」などのギャグや、出っ歯を売りにしたハーモニカの芸が人気を博し若井ぼん・はやととして1968年「第3回上方漫才大賞新人賞」、1977年「第12回上方漫才大賞 奨励賞」を受賞。横山やすし・西川きよしとしのぎを削ることとなる。
コンビ結成から解消までの松竹芸能に所属。1985 年にコンビ解散。

漫才ブームも去りポッカリ心に穴が空いていた時期、アメリカ NY に在住だった実兄の紹介で現地プロモーターの目に留まり、一流と選ばれた者しか出演出来ないジャマイカ版紅白歌合戦こと音楽フェスティバル「レゲエ・サンスプラッシュ」に日本人初参戦の快挙を成し遂げる! カリブ海の陽気なレゲエサウンドに「河内音頭」を乗せて披露したところ現地のジャマイカ人に大好評となり、レゲエと河内音頭を融合したライブパフォーマンスを創案。

「若井ぼん・はやと」名義で1977年「スッテンテン節」、「ジェームズ・ボン(James Bong)」名義で1984年「商売繁盛じゃ笹持ってレゲエ レゲエ河内・鉄砲節/商売繁盛じゃ笹持って DUB」、2012 年「続々カワチモンド 世界最強河内系」などをリリース。

世界に認められたパフォーマンスはその後の日本におけるレゲエミュージックに多大なる影響を与える事となる。

そしてこの度、「James Bong」として大復活! 日本最高齢レゲエミュージシャンとしても今後の活動が非常に楽しみな後期高齢者アーティストである。

James Bong a.k.a 若井ぼん ディスコグラフィー
ディスコグラフィー
北野啓太郎
既に廃盤・生産終了しているのか、過去の作品はAmazonなどでは購入できず、メルカリで見つけることができました! ただ、プレミア価格がついて、CD・レコードが1万円前後での取引。欲しい方は売り切れ前に要チェックで

 

James Bong / 若井ぼん 経歴

  • 1962年(昭和37年) 若井ぼん・はやとで新花月、角座デビュー
  • 1964年(昭和39年) 上方漫才大賞新人賞受賞
  • 1977年(昭和52年) 上方漫才大賞激励賞受賞
    ローオンレコードよりシングル盤「スッテンテン節」発売
  • 1984年(昭和59年) カリブジャマイカ最大のフェスティバル「レゲエサンスプラッシュ」に日本初の出演。レゲエ河内音頭が絶賛される。
    帰国後、日本コロンビアよりレゲエ河内音頭「商売繁盛じゃ笹持ってレゲエ」を発売。
  • 1985年(昭和60年) ユニセフ国際青年にジャマイカ政府より招待され、日本代表として出演。
    滋賀県主催「カリブ音楽の祭典」に出演
  • 1986年(昭和61年) 再び「レゲエサンスプラッシュ」に出演
  • 1989年(平成元年) 近鉄劇場で、SF ミュージカル「宇宙公子 MOMOTARO」主演
    同公演を機に新コンビ若井ぼん&ミッサンを結成。新コンビ結成後、NHK テレビ 「生活笑百科」、NHK ラジオ 「上方演芸会」、読売テレビ 「お笑いネットワーク」、つぼらや TV コマーシャル出演
  • 1998年(平成10年) 日本コロンビアレコードより「一発逆転」というグループ名でコミックソング「HO-DARAKE」「なにわ DE ラップ」CD 発売
  • 現在 司会、漫談、唄で活躍
北野啓太郎
若井ぼんさんは1944年生まれ。戦時中です。昭和・平成・令和を駆け抜けてこられたこその深みを、お歌からも感じます!