毎年、夏に大阪で開催されているレゲエ野外フェス「HIGHEST MOUNTAIN(ハイエストマウンテン)」。今年2018年は、開催20周年を迎えるアニバーサリーイヤーです。
このHIGHEST MOUNTAINは、日本ではもっとも長く続いている夏フェス。1999年に第1回が開催され、8年目の2006年には大阪・舞洲で2万5千人を集客し、名実ともにレゲエフェスの代名詞となりました。
しかし、集客面において毎年絶好調だった訳ではありません。会場を縮小させた年もありました。
でも、HIGHEST MOUNTAINを主催する大阪のレゲエクルーMIGHTY JAM ROCK(マイティージャムロック)は、どんな年でも、いつも夏にはHIGHEST MOUNTAINを開催し続けたのです。
MIGHTY JAM ROCKは、なぜHIGHEST MOUNTAINを開催し続けるのでしょうか?
僕も知らなかったのですが、実はそこにとても深い想いが込められていたのです。
MIGHTY JAM ROCKのメンバー全員に、4時間かけて取材させて頂きました
大変恐縮ながら、今年、MIGHTY JAM ROCKさんより「プロフィール執筆の依頼」を受けました。有名アーティストのプロフィールを書くというのは責任重大です。僕は執筆にあたり、まずMIGHTY JAM ROCKのメンバー全員ひとりずつに、じっくりとお話しをうかがいました。トータルすると、話した時間は4時間ほどでしょうか。
そこで僕は、「MIGHTY JAM ROCKは、なぜ存在するのか?」の原点に迫りました。
それを知ったとき、僕は興奮と感動で打ち震えたのです。KYARAさんには、「これまで全然知りませんでした。めちゃくちゃかっこいいじゃないですか!」と、思わず声を上げてしまいました。
感動!「レゲエはいいぞ」に込められた、真の意味
熱心なレゲエファンであればご存知の方もいると思いますが、MIGHTY JAM ROCKは、初めからMIGHTY JAM ROCKではなかったのです。
(以下、敬称略)
セレクターのKYARAは、RYO THE SKYWALKERと同じクルーで、DIGITAL BASS(デジタルベース)というサウンドでした。また、同じくセレクターのROCKは、BOXER KIDと同じクルーで、ROPROS(ロプロス)というサウンドだったのです。
そして、JUMBO MAATCHとTAKAFINは同じクルーで、RIDDIM(リディム)というクルーでした。
しかも彼らがサウンドを始めた当初、RYO THE SKYWALKERも、JUMBO MAATCHも、TAKAFINも、セレクターだったのです。BOXER KIDだけが、初めからDJでした。
これは、1990年代半ばのはなし。当時彼らは若手サウンドとして、「先輩に負けないぞ!」と気概を持って活動していました。
そんな折、彼らに「ふたつの困難」が降り掛かるのです。
【困難1】レゲエの、良いミックステープがない!
今でこそ、レゲエのミックステープやミックスCDは、サウンドの名刺代わりとして無数に存在していますが、1990年代に半ば、日本にはほぼ存在していませんでした。あったのは、レコ屋で販売されていた、ジャマイカから輸入された、現場を録音した音質の悪いテープばかりでした。
コアなレゲエファンにとってはたまらないものですが、レゲエ初心者にとっては、これはマニアックです。半分くらいパトワで喋っているし、音も悪い。
「これでは、レゲエをより多くの人に広められない」
そう危惧したのです。そして、異例ともいえる行動にでました。クルーの枠を超えて、謎のミックス集団MIGHTY JAM ROCK「SOUND BACTERIA(サウンドバクテリア)」を立ち上げたのです。SOUND BACTERIAは、徹底的にクオリティにこわだって制作されたミックステープです。
これが大ヒット!
大阪・アメリカ村を中心に、街中に「SOUND BACTERIA」が大音量で鳴り響くというムーブメントを巻き起こしたのです。当時、アパレルショップ、美容院、飲食店など、どこへ行ってもBGMとしてこのミックステープが繰り返しプレイされていました。
このときの旗印が、「レゲエはいいぞ」だったのです。
【困難2】サウンドクラッシュでのジャパニーズレゲエに非難
ジャパレゲという言葉は、1990年代にはありませんでした。とはいえ、日本語レゲエはすでにあり、CDもレコードもよく売れていました。
ただ、「ジャマイカのレゲエをひいきする」雰囲気が、どことなくあったのです。
当時、サウンドクラッシュのブームも起きていて、DIGITAL BASSやROPROSも先輩サウンドに挑んでいました。そのとき自分たちの仲間の曲、日本語レゲエを何曲もプレイしたところ、クラッシュの審査員(当時はいたそうです)から、「クラッシュはやっぱりジャマイカンでしょ」と認めてもらえなかったそうです。
悔しい。
日本人レゲエアーティストの良さを、もっと知らしめたい!
レゲエはいいぞ! HIGHEST MOUNTAIN、1999年第一回開催
「レゲエはいいぞ!」
「ジャパニーズレゲエもいいぞ!」
このふたつの想いを遂げるため、謎のミックス集団は、《謎》の仮面を取ることを決意しました。さらに、当時はまだ珍しかった生演奏のバンドでアーティストがパフォーマンスを行うビッグステージショーの開催も計画しました。
そのイベントがHIGHEST MOUNTAINであり、MIGHTY JAM ROCKのお披露目だったのです。
彼らのレゲエに対する熱い想いが、HIGHEST MOUNTAINとMIGHTY JAM ROCKを誕生させました。その想いは、20年たった今もなお、脈々と続いているのです。
余談ですが、取材の際KYARAさんに、「もう想いは充分叶ったのでは?」と尋ねると、「伝えたい良いレゲエは、まだまだあるんですよ。まだ終われませんよ!」と、言われてしまいました。
MIGHTY JAM ROCKは、20年前から一貫して「レゲエはいいぞ」を掲げ、ひたすら目的に向かって進んでいたのです。
8月11日「山の日」に開催、ハイエストマウンテン20周年
書かせていただいたMIGHTY JAM ROCKのプロフィールは、HIGHEST MOUNTAIN公式サイトに掲載されています。ぜひ読んでみてください。MIGHTY JAM ROCKの皆さま、貴重な機会をありがとうございました!
さて、今年2018年のHIGHEST MOUNTAIN 20周年は、新しい休日、8月11日の山の日に開催されます。チケットは、なんと3,900円(サンキュー価格)から。しかも、小学生以下の子どもは、大人ひとりにつき1名無料。家族にも優しいですね。
「レゲエはいいぞ」を掲げ、大阪・舞洲(まいしま)に集まりましょう!
■関連リンク
HIGHEST MOUNTAIN公式サイト
Mighty Jam Rock プロフィール
以下、書かせて頂いたMighty Jam Rockのプロフィールです。HIGHEST MOUNTAIN公式サイトなどに掲載されています。
MIGHTY JAM ROCK(マイティージャムロック)
大阪を拠点に活動するレゲエクルー。メンバーは、サウンドの KYARA と ROCK。 そして DeeJay の JUMBO MAATCH、TAKAFIN、BOXER KID。サウンドシ ステムは DANCEHALL MECHA-DOG、レーベルは MIGHTY JAM ROCK RECORDS。
1998 年、大阪のサウンドがクルーの枠を超えて《謎のミックス集団》MIGHTY JAM ROCK としてミックステープ「SOUND BACTERIA」シリーズを発売し たのが起源だ。当時、レゲエのテープといえばジャマイカから輸入された音質 の悪い現場収録モノが主流であったが、「レゲエはいいぞ」を旗印に掲げ、クオ リティにこだわったミックステープを制作。結果、レゲエファンのみならず、 アパレルショップ、美容院、飲食店などで BGM としても人気を博し、大阪・
アメリカ村を中心に、街中に「SOUND BACTERIA」が大音量で鳴り響くとい うムーブメントを巻き起こした。
またこの頃、ジャパニーズレゲエは近年のように確立しておらず、ダンスやサ ウンドクラッシュで日本語レゲエをプレイすることで非難の声が上がる時代で もあった。
悔しかった。「広くレゲエを聞いてもらいたい」「ジャパニーズレゲエの良さを 知ってもらいたい」。その想いを実現させるべく、MIGHTY JAM ROCK はいよ いよ《謎の集団》の仮面を脱ぎ捨て本格始動を決意。それが 1999 年に開催され た、当時まだ珍しかった生演奏のバンドでアーティストがパフォーマンスを行 うビッグステージショー「HIGHEST MOUNTAIN」の第 1 回だ。以来 「HIGHEST MOUNTAIN」は毎年開催され、8 年目の 2006 年には大阪・舞洲 で 2 万 5 千人を集客し、名実ともにレゲエフェスの代名詞ともなった。今年 2018 年、開催 20 周年を迎える。
また、JUMBO MAATCH、TAKAFIN、BOXER KID の 3 人ユニットでのアル バムも、2001 年より毎年リリース。シーンの筆頭を走り続け、2017 年には 17 枚目のアルバムを完成させた。ジャパニーズレゲエアーティスト最多のリリー ス量である。
大阪にレゲエあり! と日本中に知らしめた彼らは、20年を超える時を経ても なおカルチャーの核となり、レゲエの魅力を拡散する。「レゲエはいいぞ」の彼 らの旗は、今日も大空になびいている。