高感度なアンテナ重視のサブカルチャーが衰退・低迷し、大量生産型の音楽やファッションなどのヒットが連日ニュースになっている現代。
そんな中、ジャパン・カルチャーど真ん中ともいえる『日本酒』が、20~30代の若者のあいだで、サブカル的にムーブメントが起きているのをご存知でしょうか?
女性オーナーの日本酒専門バーが、オープンしたばかりの大型会場「ZEPP NAMBA」でイベントを企画し、前売りチケットが開催1ヶ月前にして即完売!そんなスゴイ事になっているようです。その仕掛人ともいえる、中心人物である原口 起久代(はらぐち きくよ)さんにお話を伺いました。
……の前に、その仕掛人は自分の友達なんです。
日本酒バーのオーナーであり、ZEPP NAMBAのイベント主催者である原口 起久代さんは、自分の10年来の友達です。私、北野は6年前に大阪から東京に上京、彼女は大阪で頑張っています。しばらくは時々電話で話すだけになっていたのですが、先日「今度の日曜日、東京に行くんで会おうよ!」と連絡をもらい、5月最後の日曜日に東京・下北沢でランチをしました。
彼女は、常にポジティブで明るい!ついつい不景気トークになりがちな昨今、ずっと嬉しそうに話す姿には、新鮮で晴れ晴れしい気分にさせられました。そんな彼女から、これまでのストーリーを学生時代のアルバイトにまでさかのぼって聞いて来たので、紹介したいと思います。
彼女の名前は、原口 起久代。自分は「きくちゃん」と呼んでいて、その方が書きやすいので、ここでは彼女のことを「きくちゃん」と書かせてもらいます。
▲原口 起久代さん。カジュアルダイニング「Trenta shimokita」にて。(世田谷区北沢2-26-25)
学生時代は、居酒屋「ちゃんと」でアルバイト。
きくちゃんは、大学生時代「居酒屋ちゃんと」でアルバイトをはじめました。
ちゃんとでは、アルバイトでも個人の名刺がもらたんだそうです。学生アルバイトでも単なる使いっ走りとして扱われず、個人として尊重してもらえたんだとのこと。個々の接客はもちろん、新メニューやお店の企画会へも、社員にまじってアルバイトも意見を出し合うんだとか。
ここでホールの楽しさをしり、お客さんへの接客(コミュニケーション)に喜びを感じるようになったんだそうです。
就職はデパート「髙島屋」へ。企画を希望したが…。
大学卒業後は、大手百貨店「髙島屋」に入社。催事場でのイベント企画や、食品・酒などの分野を手掛けたくて、百貨店への入社を決めたそうです。
しかし、配属されたのは『外商』。企画はおろか、店頭とも無関係の、外回り担当になってしまいました。外商というと、『百貨店で扱う商品のカタログを担いで訪問販売』という印象なのですが、実際はそうでは無いそうです。百貨店の肩書きとおり、ありとあらゆるモノを販売。例えば、お客様から「家を建てたい」「リフォームしたい」などの希望を受けたら、それにも対応するんだそうです。まさに何でも屋です。
髙島屋は3年で退社しました。やはり自分で企画がやりたかったのが、一番の要因のようです。
ここできくちゃんは、幅広い知識と得、接客力を増しました。
やっぱり飲食店。今度はオイスターバー「MAIMON」。
髙島屋退職後、約半年ほど模索期間があったそうです。やはり『飲食、接客、企画』がキーワードとなり、飲食店で働くことになりました。
しかし、入社半年目に人生の転機が訪れました…。
人生の転機!新店舗「鉄板×お好み焼き Bar介」店長に抜擢。
前職、髙島屋・外商時代のお客さんに、大阪・鰻谷のバーに連れて行ってもらいました。鰻谷といえば飲み屋街。そんな街の雑居ビルに佇む隠れ家的バー「介(すけ)」へ。
その「BAR 介」は、山内 亮介氏(当時30歳)がオーナー兼店長をつとめる10人キャパ程度の小さなお店。オーナーの気さくな雰囲気から、きくちゃんはお店が気に入り、時々個人的にも行くようになったそうです。
そんな中、山内氏が「もう一店舗、新しいお店をはじめたいねんなぁ」とこぼす声がきっかけで、2人が意気投合。そのときお客だったきくちゃんが店長に大抜擢!彼女にお店を任せるということで、新店舗「鉄板×お好み焼き Bar介」がオープンしました。2005年はじめの頃です。
▲(右)きくちゃん。そういえば、手に持つ看板は北野がデザイン・納品させてもらいました。
▲オープンテラスなお好み焼きバー。一見さんも入りやすい明るい雰囲気のお店。
彼女の接客好き、企画好きがこうじて、常に活気ある店舗に!リピーター率が高く、新店舗にも関わらず常連さんでにぎわうお店になりました。
いよいよ日本酒との出会い。常連さんの一声がきっかけ。
「ワンカップ入れたら良いんじゃない?お鍋で温めれるし、飲みきりなので痛まない」。
きくちゃんが店長をつとめる「鉄板×お好み焼き Bar介」の常連さんのひとりから、そんな意見をもらいました。それまではビールや焼酎がメインだったお店なのですが、リクエストを受け、ワンカップをメニューに加えることに。
喜んでもらえたそのお客さんより、そのうちに「もっと種類が欲しい」とさらなる要望が…。
▲メニューには「今、話題の地酒。ワンカップも多数あります」の文字が。
これまで興味がなかった日本酒との出会い。お客さんからのリクエストが最初でした。
日本酒探しの旅。同じ服装で週に2回通う!
日本酒業界は堅い!敷居も高い!地酒は特に。
そのとき、仕入れの交渉をしていたのは、大阪浪速区にある「山中酒の店」。地酒を扱う同店より、良い日本酒を入れてもらう為に、ある作戦を考えました。きくちゃんは、週に2回、毎回同じ服装で通い続けたんだそうです。目的は、自分のことを覚えてもらう為。
そのうちに、店主に親しくしてもらえるようになりました。そんな折り、日本酒を醸造する蔵元さんをつれて、「鉄板×お好み焼き Bar介」に来てくれたんだそうです。
「作り手の人が見える!この人が、このお酒をつくってるんだ!」
「日本酒造りって頑固爺がやってるイメージだったけど、意外に世代交代していて、自分たちの世代になっていた。彼らには遊び心もあるし、なにより同世代が地酒を造ってるなんてビックリ!」
もともと興味がなかったけど、お客さんを満足させたい気持ちから始めた日本酒。この時点ですっかり日本酒の世界にハマっていました。思い返せば、気になることにはどんどん首を突っ込み、酒蔵を訪ねたり、さらには田植えから稲刈りまでも体験するようになりました。そんなきくちゃんの情熱に感化され、周りの人も巻き込んで行くことになるのです。
2008年春、いよいよ「日本酒イベント第一回」を開催!
きくちゃんは、3年間つとめた「鉄板×お好み焼き Bar介」を辞めることにしました。
その時に、初めて「日本酒のイベント」を企画・開催したのです。
当時、Bar介のオーナー山内氏は、人気店となっていた「鉄板×お好み焼き Bar介」を足掛かりに、更に新店舗「天ぷら×日本酒 介」をオープンしていました。この新店舗を会場に、日本酒のお祭りを開催。全国よりお酒を造っている蔵元さん、9蔵を招き、ひとつの会場で様々な地酒を楽しんでもらえるようなイベントにしました。
■「呑(や)れんのか!日本酒2008」
日程:2008年4月29日(昭和の日)
会場:天ぷら×日本酒 介(大阪・南船場)
集客:130人
蔵元:9蔵
食事: 天ぷら×日本酒 介
イベントは大盛況!特にたいした宣伝もなく、常連さんたちの口コミだけで、130人の満員御礼。
2008年6月「日本酒うさぎ」オープン!ついに独立!
はじめての日本酒イベントを終え、「鉄板×お好み焼き Bar介」を卒業し、きくちゃんは遂に自分の店を持つ事になりました。
お店の名前は「日本酒うさぎ」。
日本酒とお酒にあう一品料理を提供する、日本酒専門のバーです。カウンター10席のみの小さなお店。
実はここ、間借りなんです。深夜営業のみの「真夜中キッチンうさぎ」というお店が開店するまでの時間、PM5:00〜10:30まで借りているとの事。
「日本酒うさぎ」のスタッフは全員で4名。1〜2名体制で1日の営業を行ってます。きくちゃん以外は、ライターなどフリーランスとして別の本業をお持ちの方なんだそうです。
居酒屋 → デパート → オイスターBAR → お好み焼きBAR → 日本酒BAR!
年に一度の日本酒イベント「愛酒でいと」。毎年開催。
『日本酒を本気で造る小さな酒蔵と、日本酒を愛する小さなお店に出来ること』
日本酒を造る蔵元さん。日本酒を愛するお客さん。日本酒にあう一品を提供する料理人さん。
そんな日本酒をとりまく皆さんとの盛り上がりは、徐々に高まってゆきました。結果、日本酒のイベントは毎年開催することに。
イベントタイトルは「愛酒でいと」。テーマは「日本酒を本気で造る小さな酒蔵と、日本酒を愛する小さなお店に出来ること」。
■「愛酒でいと2009」
日程:2009年4月29日(昭和の日)
会場:イタリアンレストラン「Mi Cninta」(大阪・福島)
集客:300人
蔵元:11蔵(全国から)
食事:11店舗(関西から)
■「愛酒でいと2010」
日程:2010年4月29日(昭和の日)
会場:名村造船所跡地「STUDIO PARTITA」(大阪・住之江)
集客:600人
蔵元:16蔵(全国から)
食事:16店舗(関西から)
■「愛酒でいと2011」
日程:2011年9月4日(昭和の日)
会場:千日前ユニバース・御園(大阪・千日前)
集客:650人
蔵元:19蔵(全国から)
食事:19店舗(関西から)
■「愛酒でいと2012」
日程:2012年6月10日
会場:Zepp Namba(大阪・なんば)
集客:900人
蔵元:23蔵(全国から)
食事:23店舗(関西から)
出店料は0円。スタッフはボランティア。スポンサーなし。
お祭りをしたい!
日本の伝統日本酒を広めたい!
自分の感動を共感して欲しい!
「お好み焼きBAR介の店長時代、そんな想いから最初のイベントを開催したんです」と、きくちゃんは語る。
「そもそもお金儲けが目的ではないので、掛かる経費を抑え、入場料金もギリギリまで安く設定しました。2年目までは赤字で、3年目で少し黒字になりました。その黒字分は、蔵元見学会の経費にしたり、翌年の為に残しています」と、内情まで教えてくれました。
これまで年々大きなイベントとなってきているが、問題などは無かったのか?の質問に関しては、「2010年12月、私、子供を産んだんです。毎年、4月29日の『昭和の日』に開催していたのですが、2011年はさすがに無理でした(笑)。しかし周りから『今年はしないのか?』の声が高まり、時期をずらして9月に開催したんです」と語ってくれたが、妊娠・出産・育児を経ながらも、お店を運営し続け、イベントまで開催するとは驚かされる。
これからの将来に関しては、「蔵元さん、出展者さん、イベントスタッフさんの合計は100名を超えています。すでに私が知らない方もいるのです。規模的には、ここまでかなぁと思っています」と嬉しそうに話してくれた。
きくちゃんは、学生時代のアルバイト先の居酒屋で接客や企画の楽しさを知り、その後、お好み焼きBAR時代にお客さんからの要望を満たしたく日本酒の世界へ。「たまたまです」と話していた彼女ですが、ここまで来れたのは長年にわたって『情熱』と『愛情』を持ち続けていたから。決して偶然なんかでは無い。
小さなきっかけ、小さなお店から、大きなムーブメントをつくる。まさに彼女は、昔の想いを実現させ続けている。
▲「日本酒うさぎ」日本酒を愛して止まない女店主、きくちゃんこと原口起久代が営む▲
▲日本酒の、日本酒による、日本酒のための居酒屋。▲
<最後にひとこと>
彼女とは6年ぶりに再会しました。あまりにイケテル女性になっていたので、思わず昼食しながら急遽インタビュー!自分はレゲエのウェブマガジンを運営していますが、そこに書く訳にもいかないので自分のブログでサクッと紹介させてもらいました。
どんな立場、どんな仕事に就いていたとしても、「お客さんのため」「愛情」「情熱」というのは大切なんだなぁ…と改めて感じます。次に会う時、彼女はどんな素晴らしい人になってるんでしょうか?楽しみです!がんばれ、きくちゃん!