嫁のおじさんが急逝。

先日、嫁のおじさんが、60代半ばにして逝去されました。
友人十数名で向かった温泉旅行先での出来事。外気0度、お湯42度という環境で、深夜にひとり入った温泉で亡くなられたそうだ。おそらく、心臓がびっくりしたんだろう、とのこと。

東北新幹線自分は、おじさんにはお会いしたことがありませんでした。というのも、自分の住まいが東京で、両親の住まいが両親とも大阪。そして、自分たちは1年半前に海外で結婚式を挙げました。おじさんの住まいは東北の岩手県。おじさんの事は、お話だけ聞きつつ、まだお会いしないままだったのです。

訃報を聞き、嫁とともに岩手に駆けつけました。お通夜には間に合わなかったのですが、翌日朝に到着。ご葬儀に参列しました。自分にとって、嫁のおじさんご家族とお会いするのは、これが初めてのことです。

あまりにお若い永眠

「道半ばに」という言葉がありますが、亡くなられたおじさんは、まさに『道半ば』でご無念だったろう、と沢山の方々のお話を伺い、そう痛感しました。

この地域の習わしか、ご葬儀では、心のこもった弔辞がたくさん読まれました。

公私ともに歩んでこれらた方、地域活動をともに行ってこられた方、亡くなった温泉旅行へともに行っていた仲間、学生時代からの友人、そして、お孫さん達。そんな方々が、葬儀の会場でマイクを通じ、故人への想いを、涙ながらに語り続けました。また、葬儀がおこなわれたお寺の住職は故人と友人であったそうで、お通夜では、住職までもが咽び泣き、お経もままならなかったそうです。

おじさんは60代半ばですが、会社勤めではなく木工の職人を個人でされており、これからまだまだ先の夢見る仕事があったようです。また、仕事以外にも30年程前から「三陸の海を放射能から守る会」で活動され、今年は最も懸念していた福島の原発事故が起き、大変な最中だったそうです。

もちろん、お仕事・地域活動だけでなく、奥さん、子供達、お孫さん達を残しての突然の旅立ち。

皆心づもりがまったく出来ず、大変無念だったろう、と心が痛みました。

命とは時間

一日は24時間。
毎日毎日その時が刻まれて行き、「これが終わるなんて相当先だ、終わりを意識する必要はない」、数年前まで自分自身そう考えていました。しかし、身近な訃報に接するにたび「終わりは他人事ではない」と意識するようになりました。

自分は今年38歳。
若い頃は、親や年配者に「時間はあっという間やで」とよく言われていました。最近になって、ようやくそれを実感しています。

子供のころは歳を重ねる事に喜んでいたけど、いつからか死ぬまでの時間を意識するようになっている。

自分の人生を生きる

話は戻りますが、亡くなられたおじさんは、「自分の人生を生きて来られた方なんだな」と感じました。自分自身も、「しっかりと人生を生きよう」と心に強く思います。

心よりご冥福お祈り申し上げます。

親が死ぬまでにしたい55のこと

親が死ぬまでにしたい55のこと
親孝行実行委員会

amazonAmazonで購入
楽天ブックス楽天ブックスで購入

 


<最後にひとこと>
人はなぜ生まれ、死ぬのか。生きている間は、何をすべきなのか。そんな事を考えています。