書店の心配りから学んだ、「ありがとう」を超える余韻を残す感謝の気持ち

今日、打ち合わせへ行った帰り、渋谷の啓文堂書店さんで本を買って帰りました。鈴木文矢著「ビートたけしの暴言力 」という新書。チラッと立ち読みした感じ、すげー面白かったので本屋を出てすぐに本を開きました。

すると、書店のブックカバーに「乱丁・落丁本は、お取り替えいたします」のひとこと。

書店のブックカバーに「乱丁・落丁本は、お取り替えいたします」のひとこと。

こういう心配りって良いですね。お店を出てからも「ありがとうございます」と言われたような、温かい気分になりました。

他にも例えば、良い人と会った後って、別れてからも「あー、楽しかったな。また会いたいな」って思うじゃないですか。尊敬させられたり、恋心を抱いてしまったり。

そういう、去った後に余韻を残すって、素晴らしいと思うんです。

マイナスの「ありがとうございました」

牛丼屋は、よく「吉野家派」と「松屋、すき家、なか卯派」って分かれるんだけど、その理由は食券。大抵の牛丼屋は入り口の券売機で事前にチケットを買うのに対し、吉野家だけが頑としチケット制を導入しない。その理由はわからないんだけど、僕が思うには「お客様への感謝の気持ちを伝えるため」だと思うんですね。

吉野家では、食べ終わると「おあいそ!」と、忙しそうに走り回る店員さんに声をかけて会計をしますが、そのタイミングで「ごちそうさん」「ありがとうございました」という会話ができます。それに対して、食券の牛丼店は「ごちそうさん!」と言っても聞こえないのか、自分だけが声を上げているという恥ずかしいパターンに陥ることが度々です。そんな不満な気持ちで自動ドアに近づくと、ドアが開く電子音に反応して、奥から店員さんが「ありがとうございました〜」と。

これはお客に対してではなく、電子音に言っているだけで、何の感謝も感じずマイナスの印象でしかありません(働いている方スンマセン。そう感じるんです)。

普通の「ありがとうございました」

これは吉野家ですよね。サービスを受けて、対価を支払って、「ごちそうさん」「ありがとうございました」の言葉を交わして、お別れ。これは、ごく普通の「ありがとうございました」です。

余韻を残す「ありがとうございました」

これは最初に書いた、ブックカバーに書かれた「乱丁・落丁本は、お取り替えいたします」の一言など。

ここに「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」でも良いのですが、それだと若干クドイな、と感じるのですが、「乱丁・落丁本ありましたら……」だと嫌味がなく、感謝の気持ちと心配りを同時に伝えている。

こういったことは、もちろん書店以外にもあるでしょう。去ったあとにまで、ハッと驚かせる暖かい感謝の気持ち。こういうの良いなぁ〜、と思います。

この「余韻感謝」という気づきを忘れないようにメモ。今回はそんなブログです。


<最後にひとこと>
最近、書店へ行ってもなかなか読みたい本が見つけられない。苦心の末に選んでも、読んでいる途中で飽きしまい最後まで読めない。うーん、なんでだろ。