ありがとうスティーブ・ジョブズ。今の僕は、あなたが居てくれたおかげです。

ありがとうスティーブ・ジョブズ。今の僕は、あなたが居てくれたおかげです。

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Steve Jobs (Apple)

2011年10月6日朝、うとうとベットの中で聞いていたテレビニュースで飛び起きました。Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)が亡くなったと….。

すい臓ガンを患いながらも、闘病を超える鬼神のいきおいでAppleをひきいていました。病魔のせいか見ためはやせ細っていましたが、彼の疾走感あふれる生き様に、まさか命の灯火が消える日がくるとは想像出来ませんでした。


▲ R.I.P. Steve Jobs. アップルストア渋谷にたくさんの献花。スティーブジョブズを偲んで。▲

亡くなったいう事実が、いまだ上の空。わかっていても、実感として受け入れできていません。
自分はApple、そしてMacがなければ、確実に今の自分はありませんでした。自己回顧録となりますが、「自分とSteve Jobs」について書き残しておきます。

1981年(北野 啓太郎 8歳)

Apple Ⅱ (Steve Jobs)自分がパソコンをはじめたのは8歳の頃。父親が買って来たNECのPC-6001。「9色カラー、ひらがな表示、3重和音」などがセールスポイントです。当時はパソコンではなくマイコンと呼ばれており、まだ家庭用コンピュータが珍しかった時代。小学2年だった自分は、コンピュータの魅力に完全にハマりました。その頃の月刊誌「マイコンBASICマガジン」は一番の愛読書。本に書かれているプログラム(BASIC言語)を手打ちして、ようやくゲームにありつける時代でした。

マイコン達は互換性がなく、機種ごとにプログラムが違っていました。とはいえ、NEC、シャープ、富士通など、ひとつ言語を覚えれば応用出来る範囲ではありました。そんな中、Apple Ⅱのプログラムだけは異色を放っていたのです。まるで呪文のような言語。海外製のパソコンということもあり、子供ながら妖艶な印象を受けていました。

1993年(北野 啓太郎 20歳)

PowerBook 180大学生になった頃、高校時代の同級生にファミレスで「ラップトップ型のMac」を披露させられました。機種名は覚えていませんが、たぶんPowerBook 180辺りだったと思います。「・・・なんだこれは」。子供時代マイコン少年だった自分ですが、高校生の頃よりクラブミュージック(レゲエ、ラップ、ハウスなど)にどっぷりハマり、しばらくコンピュータはご無沙汰だったのです。

カチッとした完璧なフォルム、ダークなボディーに光り輝く6色のAppleロゴ。衝撃的過ぎる!

当時の自分はコンピュータよりも音楽と遊びだったので、Macを買うには至らなかったのですが、Appleのデザイン的インパクトから、VolksWagenのGOLF2(Black)を3台乗り継ぐこととなりました。

1998年(北野 啓太郎 25歳)

1998 iMac (Steve Jobs)大学を卒業し、インテリア関係の会社で営業マンをしていました。サラリーマンです。そんな頃、ファッション誌「CaziCazi」の小さな記事に大衝撃!「・・・なんだこのパソコンは?!」。それは初代iMacでした。丸っこいカタチで、ボンダイブルーカラー、そして中身が透けて見える素材。これはトンデモナイものを知ってしまった。と、衝動的に大阪日本橋のニノミヤにiMacを買いに走りました。

自分にとっては、約10年振りのパソコン。家庭用のコンピュータはWindows、Mac OSといった風にOSという概念で互換性化され、操作はマウス。なによりインターネットが出来るようになっていました。

Apple創設者であるスティーブ・ジョブズは、かつて自分の会社を追い出されました。その後Appleが倒産の危機に瀕してしまいます。そんな中、ジョブズがAppleに返り咲き、その第一号の製品がこのiMacだったのです。

もうね。すごいAppleの熱狂的なファンになっていました。これまでのブランクを埋める勢いで、スティーブ・ジョブスの伝記、Appleの歴史本などを読みました。Yahoo!オークションでは、過去のApple製品もいくつか買いました。カタログもコレクションしました。Macの専門誌は毎号買い、何十回も熟読していました。

2004年(北野 啓太郎 31歳)

iBook (Steve Jobs)男というのは、30前後で人生に悩む生き物なんでしょう!当時、自分のまわりでは転職・独立する奴が続々と現れました。自分も例に漏れず、「このままで良いのか…」と、なんとも表現しがたい悶々とした悩みを日々抱えていました。

「AppleとMacの情報サイトをやろうか?」
「いや、すでにあるサイトに勝てるのか?」
「得意のMacで、好きなことをやればいいのでは?」

得意なMac、そして大好きなレゲエ。レゲエ情報サイト「Yellow Jamaican」を立ち上げました。当時、レゲエ・ジャマイカのニュースを日常的に発信している日本のサイトはなかったので、自分でも困惑するほどのアクセス数と話題を得ることとなりました。

2006年(北野 啓太郎 33歳)

そして今の仕事、レゲエウェブマガジン「ROCKERS channel」編集部に声をかけて頂き、レゲエとMacの仕事が本業になりました。

最後に…2011年(北野 啓太郎 38歳)

子供のころ、Apple Ⅱを知らなかったら?
学生時代、PowerBookを見ていなかったら?
iMacを買わなかったら?
Yellow Jamaicanをはじめてなかったら?

そして2010年、10年以上Macでデザイナーをしている女性と結婚をしました。

意識してもしなくても、思い返せばずっと自分の人生に良い影響を与え続けてくれていたアップル、そしてスティーブ・ジョブス。一方的なファンではありますが、あなたの生き写しとも思えるプロダクツに触れてこれたのは幸せでした。これまでありがとうございます。

Apple.com (Steve Jobs 1955-2011)


<最後にひとこと>
ステーブ・ジョブズが活躍する時代に、自分自身、多感な世代を過ごせたことを幸せに思います。また、自分の父親には感謝。子供の頃にパソコンを与えてくれたのが、そもそものはじまりでした。